昨年度,僕はありとあらゆる選考で大敗を喫しました.
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選考があるということは,採用者と,不採用者が分かれるということです.
ひとつの結果によって,その後の人生は大きく変わってしまいます.
特に嫌なのは来年度も申請しないといけないということですね.
チュートリアルもM1に優勝した時にがもう出なくていいことが嬉しいと言っていました.
採用者はお金をもらって,GWにのびのび遊んでいるのに無給の自分だけがひたすらPCに向かうわけです.
つまり,不採用がきつく感じられる要因は,「目標を達成できなかった」事実そのものではなく,
「その先にある未来すべてが,望まない形に変わってしまった」という,漠然とした無力感と劣等感なわけです.
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僕たちは,いつも間違えてしまいます.
しかも,間違えたその先では,「これはこれで良かったね」と,自分を正当化してしまう.
ほんとうは誰にも,過去の選択が正解だったかはわからないのに,人はいつも,過去の間違いを正当化している.
特に,採用された人,寵愛を受けている人,研究がうまくいく人…
目の前に「ありえた理想」の具現化がそこにいれば,その正当化さえ,実際は何の効力もありません.
僕たちは人を見るたび,劣等感,自己肯定感の喪失にいつも苦しめられる.
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そもそも,人間がこんなにも自己肯定感の低下を恐れるのは本能に依るものらしいです.
氷河期末期,次第に氷に閉ざされた世界にも夏が訪れるようになっていました.気温が上がると自然と人口も増えていきます.
しかし冬はやっぱり寒く,食料も依然足りない.そうなると口減しが自然と行われていきます.
理性を獲得した人類は,自らこそは冬でも食料を分配するのに妥当な人材だ,と言うことを群の中で証明しようとします.
これこそが人類の自己顕示欲の始まりであり,本能である所以だとされています.知らんけど.
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残念ながら,僕たちにできることは,今となって過去の正当化しかないのかもしれません.
過去を正当化し,今この瞬間,より良い選択を追求すること.
いまが幸せだからいいんだ,と思えるまで,過去の間違いを忘れるまで,新たに何かを選び,間違い直すこと.
人生は後悔の連続なので,後悔の無い選択などはきっとありません.
だからこそ,むやみに人を羨むのはやめたいんですよねぇ.
それぞれが隠れた地獄を生きているはずなので.
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後悔はいくらでも出てきます.
なにかを手に入れようとするとき,僕たちはかならず間違える.
そうやって僕たちの〈間違い〉が,未来の可能性を狭めていくこと.それこそが生きることの切なさであり,豊かさなのだと思います.